投稿者「SongLin」のアーカイブ

五十音表(五十音図)の疑問-1。

 なぜ「あかさたなはま」順なの?
 五十音は、母音a,i,u,e,oと子音k,s,t,n,h,m,yの配列になっていて、子供のときから慣れ親しんでいる。
 今まで全く考えたことはなかったのだが、
  ・なぜこの順番なのか?
  ・いつから使われているのか?

◆順番について。 
 Wikipediaでは配列について下記の様な記述があった。
 —————————
 各段、各行の並び方は悉曇学に、子音と母音の組合せという考えは反切に由来する。
 この配列になった理由付けとして有力なのは、悉曇学(シッタン学=サンスクリットの文字に対する音韻の学問)による影響である。
 母音をラテン文字で表すと、a, ā, i, ī, u, ū, r, l, ḹ, e, ai, o, au, (a)m, (a)h となる。
  子音の配列も (母音), k, kh, g, gh, n, c, ch, j, jh, ñ, ṭ, ṭh, ḍ, ḍh, ṇ, t, th, d, dh, n, p, ph, b, bh, m, y, r, l, v, ś, ṣ, s, hとなっており、「あかさたなはまやらわ」と一致している。
 ——————————–
 このWikipedia記述は、歴史上の実例をあまり提示していないので信じていいものかどうか??。
 
  ところが先日読んだ「最新言語学Q&A 日本語の謎を解く」橋本陽介 著 新潮社
 の中に、
 「カサタナハマ」の配列は、音を作る位置が口の奥から徐々に前に向かうようになている。ハ列だけは例外です。とあります。
 (ハ列が例外になったのは、かつて「は行」は「ハヒフヘホ」ではなくて「パピピプポ」だったからでその名残だそうです)
  
  実際にやってみるとその通りで納得です。ちなみに日本語の発音指導書の口の形の図も下図のようにそのようになっていました。

パソニックミュージアム

 先日パナソニックミュージアム*1に行ってきた。

場所は京阪電車西三荘駅駅西側すぐ。
写真は「ものづくりイズム館」。「松下幸之助歴史館」が隣接して立っていて、どちらかというとそちらのほうが力が入っているが、「ものづくりイズム館」には古い電化製品が展示されており、こっちのほうが個人的には面白い。
*1 https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/panasonic-museum.html

■食器洗機
 1957年頃の食器洗い機が展示されていた。 現在のものよりかなり大きいが、基本的な考え方は同じ。


■洗濯機
 これも1951年頃のもの。まだ洗濯物を絞る装置もついていない。
 ブランドもNational!
 現代の洗濯機はすごい進歩がわかる。

■デザイン
 懐かしいデザインのオーディオ機器。 2010年に松下電器の子会社となった三洋電機が1990年ころに販売していたSANYO ROBO シリーズ。

今でも通じそうなデザイン。

実は30年ほど前に、海外出張(香港やシンガポールだったかな?)に行くたびにこのデザインの組み立ておもちゃを子供のお土産に買ってきて、組み立てたものだ。
どこに行ったかな??探してみよう~。

2018年9月8日 第4回とよなか国際交流フェスタ 自主中国語講座 参加

 2018年9月18日 第4回豊中国際交流フェスタに参加した。
活動報告とのことでPowerpointと、パネルを使って学習の成果!の発表を行った。
私たちの後の発表が国際こうりゅうの会(TIFA)だったので、観客に子供が多く結構賑やかだった。
 

発表内容 PowerPoint(download)

Download (PPTX, Unknown)

 

シルクロードの玄関 西安 敦煌 の旅 2006年7月~8月

行ってみたかった中国の世界遺産

秦始皇帝陵・兵馬俑と敦煌の莫高窟

2006年7月大阪伊丹→羽田/成田→西安へ飛ぶ。

7月30日 成田からJAL609便でで西安へ。今回はJALのマイレージを使って移動。2018年2月現在東京から西安へのJAL便はコードシェアも含めて無くなっていた。時代が変わったな~。中国への旅行者が減ったためだろう。直行便で5時間半かかるので今回はビジネスクラスで行く。マイレージでよかった。一人で中国内陸部の旅行は初めてなので、中国の旅行社にホテルと中国国内の飛行機、観光ガイド+移動の車を手配してもらう。当時は中国語も挨拶ぐらいしかできないし、中国の地方ではインターネットなんて無いから情報がなかなか取れない。当時の記録が見つからないので、記憶と写真を見ながら思いだしてみる。

 

 

 

続きを読む

インド旅行 1996年

1996年 インド旅行 日本→インド(デリー、~)記録。 当時はまだデジタルカメラが一般的でなく、キャノンのEOS730 フィルムカメラを使っていた。 コダックのカラーフィルムからCDでデジタル化してもらうサービスがありそれを利用した。当時のフォーマットがPhotCDというフォーマットで現在は主流ではなくなった。いろいろ試してみたらAdobeのPhotoshopで読み込むことができた。

  ◆ラジャスターン州ジャイプール市。赤い砂岩をピンクシティーと別名のある都市。有名な風の宮殿ハワー・マハル。外観の色とそのデザインが特徴的で忘れられない。